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高句麗壁画の製作技法、日本の古墳に大きな影響


朝鮮日報(ユ・ソクジェ記者)2006年4月21日



 下地に鉛を使用する高句麗(コグリョ)古墳壁画の製作技法が、日本の古墳壁画に強い影響を与えたことを示す手がかりが発見された。国立中央博物館(館長:李健茂(イ・コンム))は21日、同博物館が所蔵している紀元前5世紀の高句麗・雙楹塚(サンヨンチョン)壁画の断片に、白い鉛の顔料である鉛白(塩基性炭酸鉛)が使用されていたことが確認されたと伝えた。この顔料は壁画を彩色する際、下塗りに使用されていた。

 ユ・ヘソン博士(国立中央博物館・保存科学室)は「壁画の彫刻を分析したところ、鉛が絵が描かれた部分からのみ検出され、周辺の余白からは検出されなかった」とし、「この顔料は色を鮮明にするために用いられたようだ」と説明した。

 高句麗の古墳壁画は通常、壁面に石灰を塗った後に描くか(フレスコ技法)、石でできた壁に直接描かれたが、雙楹塚は石灰を塗った後で輪郭線を描き、その輪郭の中に鉛白を塗った後、絵を描いたことが確認されたという。

 鉛白を塗る技法は、1972年に発見された日本・奈良県の高松古墳壁画(紀元前7~8 世紀)でも確認されている。ユ博士は「高松古墳は発見された当初から、墓に描かれた人物の服装などの点で高句麗や百済(ペクジェ)の影響を受けていると判断されていた」とし、「鉛白を塗る高句麗古墳壁画の製作技法が日本に伝わったと見られる」とした。

 雙楹塚は平安(ピョンアン)南道・龍岡(ヨンガン)郡にある高句麗古墳だ。大きな柱(楹)が二対(雙)、墓の中にあったことから雙楹塚と呼ばれている。この壁画の彫刻は日本人が1910年代に持ち去り、国立中央博物館の前身である朝鮮総督部博物館に保管されていた。

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