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會議名稱:歴史学研究会2007年大会


日 時:2007年6月2日~3日


会 場:東京大学駒場キャンパス(東京都渋谷区)


議 程:


全体会  13:00~17:30 
 
寄進の比較史-富の再配分と公共性の論理-


寄進と再分配の摂理-キリスト教ローマ帝国の生成-………………………………大月康弘
  日本中世社会と寄進行為-贈与・神仏・共同体-……………………………………湯浅治久
  中国史における慈善団体の系譜-明清から現代へ-………………………………小浜正子


第2日目  6月3日(日)   9:30~17:30


古代史部会 古代における法と地域社会  10:00~         
  日本古代田制の特質-天聖令を用いた再検討-……………………………………服部一隆
  コメント:古瀬奈津子・三原康之
中世史部会 在地領主の組織編成と機能  9:30~


在地領主結合の複合的展開と公武権力………………………………………………田中大喜
  室町・戦国期在地領主のイエと地域社会・国家………………………………………菊池浩幸
近世史部会 境界領域からみる近世の国家と社会  9:30~


18世紀後半の日蘭関係と地域社会……………………………………………………木村直樹
  近世蝦夷地在地社会と幕府の対外政策………………………………………………谷本晃久


近代史部会 学校教育と「マイノリティ」  10:30~


学校ができ、そこに子どもが通う-近代アイヌ教育政策史における学校の問題-… 小川正人
  近代ハンガリーにおける初等教育の制度化と宗派的・言語的マイノリティ……………渡邊昭子
  意図せざる覚醒? 蘭領東インド期〈近代的女子イスラーム学校〉の誕生…………  服部美奈
  コメント:趙景達・秋葉淳
現代史部会 「戦後」形成期における社会的結合-1950年代社会論の再開-    9:30~


紡績労働者の人間関係と社会意識-1950年代日本の職場サークルの歴史的位置-
                                                                                       ………………………三輪泰史
  東ドイツにおける工業労働者の社会的結合……………………………………………石井聡
  動員と社会-建国後中国都市社会の変動と民衆-……………………………………金野純


合同部会 生成される宗教的《境界》   9:30~


初期キリスト教の周縁部………………………………………………………………松本宣郎
  初期十字軍とイスラム勢力-12世紀前半のシリアにおける協定とジハードの検討を中心に-
                                       ………………………中村妙子
  ビザンツ帝国における宗教的《境界》の生成-正教会異端論駁書を題材に-……草生久嗣
  近世ヨーロッパの諸宗派とユダヤ教……………………………………………………踊共二


各部會議題主旨:


縂会委員会から
歴史学研究会の全体会では,2002年から05年までグローバル化をキーワードとし,経済・政治・文化の変容を取りあげ,昨年度の全体会「いま,歴史研究に何ができるか」では,歴史研究者が直面する課題として,歴史叙述の問題をひろく歴史実践との関係でとりあげ,多くの参加者を得た。今回は,歴史研究が現代に持つ意味を比較史という方法を通じて提示することを試みる。
日本の歴史研究は,量的にも質的にも拡大・深化をとげ,世界の諸地域のさまざまな言語で著された一次史料や研究文献を用いた実証的な研究が行われている。研究が地域・時代別に細分化・個別化する反面,戦後歴史学の理論的枠組みが批判的に検証されるなかで統一的な世界史像が見失われ,地域や時代をこえた対話が成立しがたくなっていることも否めない。他方,実証的な歴史研究に対するいらだちや学界外部からの攻撃も生じている。
個別を媒介としながら,それを全体のなかに位置づける試みとして,比較研究が見直されつつある。西洋経済史の森本芳樹氏は,かつての比較社会経済史,その理論的なバックボーンであったマルクスとウェーバーにとって比較という作業が,区別のためのものであったと総括し,このような「区別の比較史」に代えて,異なる世界の間にがり(類似点,共通点)を発見する「類推の比較史」を提唱する。また従来の西洋をモデルとした比較研究にかわって,中東・イスラーム世界,中国,東南アジアを主たる対象地域とし,所有・契約・市場・公正というテーマをとりあげながら,比較の座標軸を新たに発見する試みもなされている。
歴史学は,世界の国や地域の理解に大きく関わってきた。グローバル化が進展し,さまざまな国や人々の直接的・間接的な接触の機会が飛躍的に増大するなかで,対立や摩擦も強まっている。このような状況のなかで,歴史研究が国や地域を単位とした研究に閉じこもるのではなく,比較研究を通して,共通の歴史理解を生み出すことができれば,「異文化」理解の窓を開くことにも通じるであろう。
今大会では,比較の主題として,「寄進」をとりあげる。寄付や寄進という行為はどの地域どの時代にも広く見られるが,従来の歴史研究では,財の生産や流通,すなわち富の形成に主眼が置かれたため,富の再配分の論理やシステムについての議論を欠いていた。自身の獲得した所有物を第三者に贈るというパラドキシカルな行為がなぜ行われるのか? 寄付・寄進をうけた社会組織はそれをどのように運用したのか? 国家や社会はそれをどのように管理したのか?
こうした問いに答えるために,全体会では,つぎの3名の方に報告をお願いする。大月康弘「寄進と再分配の摂理--キリスト教ローマ帝国の生成--」は,ビザンツ帝国において,救済をもとめて自らの意志で寄進を行った市民と神の資産となった教会財産を,皇帝権力=帝国がいかに国家機構のなかにとりこんでいったか,個人の善行が社会的な「慈善」へと転化していくことの意味を問い直す。湯浅治久「日本中世社会と寄進行為--贈与・神仏・共同体--」は,日本中世が「寄進の時代」であり,寄進行為が互酬の慣行を通じてタテヨコのさまざま社会関係を生み,それを通じて地域社会に中間団体や宗教権力が形成されることを明らかにする。近代国家の形成は,一般には宗教(財産)を切り離しながら慈善の領域を福祉として国家が担っていく過程といえるが,小浜正子「中国史における慈善団体の系譜--明清から現代へ--」は,中国近代における,自発的な社団(善堂のような慈善団体など)のネットワークによる「公共性」の成立を指摘し,同時に人民共和国における社団の解体とそのような公共性の終焉および改革開放政策後の社団の復活と対比する。
現代において,一方で市場経済を通じた富の拡大と獲得が至上命題のようにみえる反面,個人の寄付や財団の社会活動は衰えるばかりかむしろ拡大している。寄付・寄進をめぐる諸問題は,経済と宗教,個人的利益と社会的利益,合理と非合理といった二律背反をいかに接合するのかという問いであり,公と私の領域が不鮮明になりつつある現代社会を解く鍵となる。私たちは,比較という作業を通して,歴史という実験室から答えを見つけだすことができるだろうか。(研究部)
〔参考文献〕
森本芳樹『比較史の道--ヨーロッパ中世から広い世界へ--』創文社,2004。
三浦徹・岸本美緒・関本照夫編『比較史のアジア--所有・契約・市場・公正--』東京大学出版会,2005。
大月康弘『帝国と慈善 ビザンツ』創文社,2005。
湯浅治久『中世後期の地域社会と在地領主』吉川弘文館,2002。
同『中世東国の地域社会史』岩田書院,2005。
小浜正子『近代上海の公共性と国家』研文出版,2000。


日本古代史部会運営委員会から
1973年以降,歴史学研究会日本古代史部会では在地首長制論を批判的に継承し,1980年代後半からの王権論,1990年代からの地域社会論といった視角を用いて,古代国家の成立および変質過程について検証を加え,「新たな日本古代史像の構築」を目指してきた。
近年では,国家・王権・地域社会の実体解明を目的として議論を重ねている。
1997~2003年度大会では,国家・王権・地域社会の関係性を確認することができた。しかし,そこに内在する諸事象(権力関係,支配秩序・イデオロギー等)についての検討が課題として残された。
そこで,2004・05年度大会においては,イデオロギーと社会構造との相互関係を具体化するため,「古代王権の構造と支配秩序」をテーマに掲げ,古代国家・社会の総体的把握を試みた。
河内春人「『天下』論」(2004年度)では「天下」をキーワードに,支配イデオロギーの形成過程を検討し,他律的支配から自律的支配へと移行する5世紀末と,相対的世界観から絶対的世界観への変革を達成する律令国家の成立を,その画期とした。また,内発的な名のりである国号の変遷から,そこに自己の帰属集団としてのアイデンティティを見出すのは支配者層に留まっていた点にも言及した。
藤森健太郎「天皇即位儀礼からみた古代の国家と社会」(2005年度)では,国家統合の象徴である天皇の即位儀礼を取り上げた。そして,一次的参加者の減少と二次的参加者・見物人の登場という儀礼の変質を踏まえ,新君主が治めるべき観念的世界秩序を積極的かつ可視的に示すことが,律令時代に淵源を持つ伝統的な正当性の再生産を可能にすると指摘した。
しかし,儀礼を支える国家・地域社会の実態についての理解の深化が必要とされ,王権論・国家論という形での継続を図りつつ,新たな視座を提示するために, 2006年度大会では「古代国家の支配と空間」をテーマとして,古代国家・王権がその支配の基礎を置いた背景,空間的統合の果たした歴史的役割について検討した。
中村太一「日本古代国家形成期の都鄙間交通--駅伝制の成立を中心に--」では,国家・王権と地域社会の相互作用の中で生成された駅伝制に焦点を当て,ミコトモチが首長層からの逓送と供給を受ける大化前代の多様な交通慣行を,孝徳朝の立評を前提にコホリによる奉仕へ一元化することで伝馬制が成立した点,また,白村江敗戦を契機に対外的危機意識が広範囲に共有され,速度という面で欠陥を内包する伝馬制とは目的を異にする緊急交通システムとして,天智朝に駅制が導入された点を論じた。
これらにより,支配正当化の過程と特質を明らかにすることができたが,国家・王権・地域社会の間を結ぶイデオロギーの視座に立った議論が,課題として残されることとなった。そこで2007年度大会では,国家存立の論理と不可分な関係にある「法」を取り上げ,「古代における法と地域社会」というテーマを設定し,服部一隆報告「日本古代田制の特質--天聖令を用いた再検討--」を用意した。
服部報告の前半では,1998年に寧波天一閣で発見された天聖令のうち,特に天聖田令を用いて大宝田令を復原し,唐令から日本令への継受関係,さらに大宝令から養老令への改変過程を検討することで,大宝令段階における田制の特質を明らかにする。これを踏まえて後半では,班田収授法に基づく土地管理システムを軸としつつ,大宝令制定以前と以後における連続性と断絶性,そして,天平元年班田を経て墾田永年私財法成立へと向かう日本古代田制の展開過程を意義づける。
服部報告によって,支配イデオロギーの表象たる「法」を通路としながら,国家・王権と地域社会との関係性を明確化し,古代国家・古代社会の総体的な把握に迫ることが可能になると考える。
かつて1976・77年度大会においては「東アジアにおける律令制と社会構成」,1978~81年度大会では「古代における法と共同体」をテーマとし,議論が蓄積された。服部報告は,そこから得られた「法の論理・規範の展開の過程の分析」・「法が社会の中で機能していくメカニズムの分析」という二つの視角(『歴史学研究』480号,1980年)を,現段階の研究状況に即して継承する内容を備えている。
また,昨年度には天聖令の原書影印本・校録本テキストが刊行された。「近年の東アジア地域における一次資料の飛躍的な増加」が指摘され,「古代東アジア地域社会全体を見据えた新たな歴史像の構築作業」(『歴史学研究』788号,2004年)が古代史研究全体の課題とされている現在,服部報告はそれに確かな方向性を与えるものとなるであろう。
なお大会当日には,法に関連する内容で古瀬奈津子氏に,地域社会に関連する内容で三原康之氏にコメントをいただく。
2007年度大会は,日本古代史部会単独での開催となる。多くの方々の参加により活発な議論が展開されることを期待したい。(鈴木正信)
〔参考文献〕
服部一隆「大宝田令班田関係条文の再検討--天聖令を用いた大宝令復原試論--」(『駿台史学』122,2004年)。
同「天聖令を用いた大宝田令荒廃条の復原」(『続日本紀研究』361,2006年)。
同「『班田収授法』の再検討」(『人民の歴史学』170,2006年)。


日本中世史部会運営委員会から
日本中世史部会は,2004年度大会において13世紀後半から15世紀を一つの時代と捉え,この時期の社会を理解するために荘園制の構造とその内実を正面から検討した。2005年度大会では,地域社会論を組み込んだ総合的な社会像の提示を目指し,荘園制の推移を地域社会の実相と関連づけて検討した。
そして,2006年度大会では,2005年度大会の成果を踏まえ,地域社会論の批判的継承を目指した。苅米一志報告では,国家的枠組みに収斂する地域社会と自律的に展開する地域社会との関係を具体的に明らかにし,鍛代敏雄報告では,15・16世紀の淀川水系地域を素材として地域社会が変動する様相を多面的に明らかにした。
以上のように,近年の歴研大会では,荘園制論・地域社会論の新段階に対応し,新たな視角・論点を提示してきたといえる。このような近年の動向を踏まえ,日本中世史部会運営委員会は,2007年度大会の大きなテーマを「在地領主を把握し直す」ことに決定した。
在地領主というテーマは,地域社会論とも,荘園制論とも密接な関係をもっている。地域社会論の展開は,在地領主を単なる支配者としてのみ捉えるのではなく,社会における在地領主の多様な機能の解明へ,という研究の展開をもたらした。   
また,荘園制論の新展開は,在地領主制の進展即ち荘園制の退転という通説的な図式を相対化しつつある。その結果,立荘論・室町期荘園制論の成果の上に,どのような在地領主像を描きうるか,という問題が浮上するに至った。
以上のように,在地領主に関する検討課題は近年進展した重要な研究分野との接点を持っている。在地領主というテーマは,地域から国家までを見通した中世社会像を構築しなおす手がかりとなりうる。
上記の問題意識を踏まえ,2007年度大会では,鎌倉・室町期における在地領主の存在形態を多面的に明らかにすることを目指す。その前提として,まず明確にしておきたいのは,今年度大会報告と領主制論との関係である。
あえて分けるならば,領主制論の学説には,中世的権力である在地領主が古代的権力である荘園領主を克服していくとみる見解と,在地領主が荘園領主とともに中世的権力として成立したとみる見解の二つの流れがある。両者に共通するのは,中世社会を在地領主による農民支配が特徴づけるという前提であるが,今年度大会では,この前提自体を検証する立場をとる。なぜならば,今日の地域社会論・荘園制論の成果は,領主制論の有効性を問い直すものでもあるからである。したがって,今年度はそれぞれの時期固有の在地領主像を蓄積し,その上にたって中世を通じた在地領主の実像を導き出したい。
具体的には,一族・親類結合やイエといった在地領主の組織編成を,彼らがもつ社会的・国家的機能の変遷と関連づけて論じていく。
在地領主研究の論点は多岐にわたるが,今年度大会で在地領主組織の問題を取り上げるのは,以下のような理由による。1980年代以前において,領主組織の編成やその推移については,領主制の変化と関連づけて論じられてきた。この段階では,領主組織の問題は,中世社会を理解する手がかりとして位置づけられていた。それに対して,1990年代以降の領主一揆・家中・一門評定の研究は,たしかな進展を見せた反面,かつての領主組織研究が有していた中世社会・中世国家体制との関連づけが希薄になっている。今年度大会では,領主組織のあり方をその社会的・国家的機能から論じることで,在地領主ひいては中世社会を理解する新たな視座を獲得したい。
以上の課題に迫るため,当日は田中大喜「在地領主結合の複合的展開と公武権力」,菊池浩幸「室町・戦国期在地領主のイエと地域社会・国家」の二報告を用意した。
田中報告では,領主間結合を,①族縁的結合(一族・姻族),②地域的結合,③制度的結合という三つの位相を孕んだあり方として把握し,これらの領主結合の展開が荘園制とどのように関わっていたのかを具体的に考察していただく。菊池報告では,①在地領主による土地把握,②被官人の機能の分析から,室町期の地域秩序・国家支配体制において在地領主のイエと領主一揆が果たした役割とその推移を考察し,戦国期までを検討していただく。
大会当日には,以上の主旨をご理解いただき,建設的な議論が行われることを期待したい。
なお,両報告の内容を理解する上で,以下の文献を参照されることをお願いする。(清水 亮)
田中大喜「一門評定の展開と幕府裁判」(『歴史学研究』786,2004年)。
同 「南北朝期在地領主論構築の試み」(『歴史評論』674,2006年)。
菊池浩幸「戦国期「家中」の歴史的性格」(『歴史学研究』748,2001年)。
同 「国人領主のイエと地域社会」(『歴史評論』674,2006年)。


近世史部会運営委員会から
歴史学研究会近世史部会では,1991年度大会以来,近世の国家と社会の総合的把握を目指し,さまざまな視角を提示してきた。最近の2年間では,意識・習慣・常識(=「秩序」)など身近なところから,国家と社会の関係性を問う試みとして「秩序」論を提起し,とくに昨年度大会では,「秩序」の中身として歴史意識をとりあげた。そこでは,人びとの歴史意識の形成・変容に関わる,さまざまな主体(権力側を含む)や諸動向を検討し,近世に固有な歴史意識のありようを明らかにすることで,国家の観念的支配と人びとが抱く共有観念との関係性を,双方向から考察することを試みた。この結果,「秩序」論の構想にさらなる厚みを加えることができたものと考える。
その一方で,今後に向けて,次のような課題も浮上した。第一に,「秩序」論の構想を踏まえ,地域社会内部・権力内部に立ち入って,そこでの藤や意見対立を,より詳細に描き出していくことである。第二に,「秩序」の重要な要素となろう,「自他認識」・「民族意識」をどう考えるのか,という点である(『歴史学研究』第822号所収の大会報告批判を参照)。しかし,現段階では,「自他認識」・「民族意識」の内実を直接問うよりも,これらが顕現する場や局面について考えることが,むしろ,重要と考える。より具体的にいうと,近世日本・列島社会では,列島内外の異なる文化,あるいは社会に属する存在・集団間の,さまざまなレベルでの接触・関係が存在していたが,その具体相をまずは把握することで,如上の問題を考えるための手掛かりを得ることができるのではないか。
以上のように考えると,ここに,次なる検討課題として,近世における異文化・社会に属する存在・集団間の接触・関係によって表出する,国家権力と社会の関係性の把握が問題として導かれてこよう。そこで,2007年度では,大会テーマを「境界領域からみる近世の国家と社会」と設定する。
周知のとおり,近世段階においては,異文化間の接触・関係は,国家権力の強力な統制下にあった。その現場にあっては,国家権力・社会の双方が絶えず,現実に直面する課題への対応を迫られる。その対応をめぐっては,必ずしも国家権力の統制が貫徹していたわけではなく,時として矛盾を孕み,そこから逸脱する動向も存在したはずである。したがって,異文化に属する存在・集団同士が接触し,相互の関係が形成される場とは,国家権力と社会が,せめぎ合う場として捉えることができるのではないか。こうした場を境界領域として捉え,今年度は,そこで展開する,異文化に属する存在・集団間の相互関係を,社会構造や政策をふまえつつ明らかにし,国家権力や,国家と社会の関係性の特質にアプローチしたい。
ここ20年ほどの研究の進展により,近世国家(幕藩制国家)が,「四つの口」を通じて,諸外国・他民族との恒常的な接触・関係を有していたことは,広く知られるようになった。そして,こうした「四つの口」を通じた外交体制という認識に基づき,国家権力および民衆の国家観や異国観(対外観),漂流船の対応の様相などが検討対象となり,豊かな成果が蓄積されてきた。その結果,異文化間の接触・関係に関わる議論は,国家権力から民衆まで,そして,「四つの口」以外の地域をも射程に入れるに至っているといえるだろう。しかし,一方で,近年の研究(たとえば「鎖国祖法観」の研究など)によると,「四つの口」という対外関係のあり方=外交体制が,近世初期以来,固定的に存在してきたわけではないことなど,「四つの口」という語で表現される外交関係のモデルに対し,疑義が出されていることも事実である。
したがって,現段階では,異文化に属する存在・集団間の接触・関係という問題を,こうした外交体制を自明視せずに,時々の幕府の対外政策や,そのもとでの藩・個別領主の動向,さらには,社会(現地)における政策への対応を踏まえつつ,実態に即して歴史像を構築していくことこそが,何よりも肝要だろう。すなわち,領主層の政策の地域に対する規定性や影響関係と,政策を捉えなおそうとする地域のすがたを軸として,境界領域において展開する,異文化間の相互関係のありようを描き出す,ということである。このような関心に立脚することで,境界領域における異文化間の接触・関係の問題を,対外関係史・外交史,あるいは外交制度の問題としてだけではなく,近世の国家権力,国家と社会の関係性の特質という問題に迫りうる視角として,提起することができると考える。
以上のような関心に基づき,運営委員会では,木村直樹氏・谷本晃久氏に報告を依頼した。木村報告「18世紀後半の日蘭関係と地域社会」では,当該期の日蘭関係が抱えていたさまざまな問題を基点として,幕府の対外・貿易政策と,それを実質的に支えた長崎を中心とする地域社会との関係について,両者相互の規定性と,地域社会の特有の構造を踏まえながら解明し,いわゆる田沼期の対外政策の再検討を試みる。谷本報告「近世蝦夷地在地社会と幕府の対外政策」では,近世の日本列島にあってはやや特殊な,異なった言語・文化を持する集団が日常的に併存することを前提として構築された蝦夷地の在地社会を取り上げ,その構造的特質を検討する。その際,当該社会構造の変容と幕府の対外政策の変化との連関に論及することにより,近世蝦夷地在地社会それ自身の特質を明らかにする立場から,幕府の対外政策の果たした意義を考察する。
以上,大会への積極的な参加と活発な議論を期待したい。(小酒井大悟)


近代史部会運営委員会から
今年度の大会は,さまざまな社会集団によって営まれていた教育が,近代国家によって学校教育制度を基礎として占有されてゆく過程を再検討したい。その際に,いわゆる「マイノリティ」に対する学校教育,あるいは「マイノリティ」による教育実践に焦点をあてる。
公教育は前近代身分制社会からの脱却を象徴し,教育や学ぶ行為を国家が学校制度によって一元的に管理するという方向で整備されてきた。一方で,公教育は国民の枠内に収まりきらない存在を生み出すという側面も,国民国家研究によって論じられてきた。
このような国家による教育や学ぶ行為の占有をめぐる問題が尖鋭化するのは,「マイノリティ」と制度化した教育が接する学校という場面である。それは,学校教育においては「啓蒙」や「文明化」の名の下での誘導・強制によって「マイノリティ」が生産・再生産されると同時に,「マイノリティ」に対する異化を行うことで,あるべき国民の理想像が提示されるからである。
だが教育の実態は,以上のような図式的整理にはとどまらず,より複雑な様相を呈する。このテーマに関して本大会では,以下の2つの論点を提示する。
①,「マイノリティ」とされていった存在が,学校教育の制度化の過程において,どのような作用を及ぼしたか。その既存の教育・学習形態,さらには教育・学習観の多様性は,学校教育制度の成立過程においてもさまざまな影響を与えたのではないかと考えられる。この多様な関係を歴史的に明らかにしたい。
②,教育制度の整備・組織化の分析にとどまらず,運営実態や「マイノリティ」の対応について検討したい。政策意図と政策効果とのズレや意味の逆転,それに対する補正といったさまざまなせめぎあいについても可能な限り考察に加えたい。
報告者および内容は,以下の通りである。多くの方々の,議論への参加を期待したい。
小川正人氏「学校ができ,そこに子どもが通う--近代アイヌ教育政策史における学校の問題--」では,近代日本のアイヌ教育政策とその実態について,通史的な視野で制度の成立・改廃とその意味を押さえつつ,次のような事象の検討を通じて,大会テーマに対する考察を進めていただく。①アイヌ児童の教育を目的として設置された小学校(アイヌ学校)のうち,ごく初期(1880年代)からアイヌ学校特設制度の廃止前後(1930年代)までの間で幾つかの学校の歴史を取り上げ,それらの学校の設置・維持・学校行事などの実態から,為政者にとってのアイヌ教育の位置づけや,学校と地域のアイヌの関わりの諸相を検討する。②上記のような政策実態のもとで,自ら学校を設置しようとし,あるいは設置のさい「尽力」したとされるアイヌ,また自ら教員となったアイヌがいたことに着目し,やはり幾人かの事例を取り上げ,それぞれの足跡やそれらの者の地域での位置などを検討する。
渡邊昭子氏「近代ハンガリーにおける初等教育の制度化と宗派的・言語的マイノリティ」では,ハンガリーでの初等教育制度の成立と運用について,宗派的および言語的マイノリティとの関わりから報告していただく。ハンガリーでは,国家が教育の制度化を進める際に,既存の諸宗派の学校に比較的大きな権限を認めながら,監督下に組み込んでいった。宗派的マイノリティが制度化される一方で,言語的マイノリティに関してはこのような集団的権利が認められなかった。この両集団が重なる場合と重ならない場合を比較しながら,教育をめぐってマイノリティたちがどのように組織化し(/されず),それぞれがどのように教育を自らのものにしようとしたのかを検討する。初等教育は地域的性格が強いため,各地域における具体的事例を取り上げながら,学校の運営と教育の実践における各集団と公権力との間の対立や共存,さらには相互依存の関係を検討し,マイノリティによる教育制度の利用の可能性と限界について考察する。
服部美奈氏の報告「意図せざる覚醒? 蘭領東インド期<近代的女子イスラーム学校>の誕生」は,19世紀末から20世紀初頭の蘭領東インド期,オランダ植民地政府による西洋型学校教育の普及とイスラーム改革運動による<近代>の模索,そして<近代的女子イスラーム学校 >の誕生を考察することを通して,社会的弱者という意味でマイノリティであったムスリム女性が,マイノリティゆえに,結果として「近代とイスラーム」「近代と女性」を模索する主体となっていくプロセスを明らかにすることを目的としている。この時期は「近代」をめぐる議論が活発化した時期であり,そのベクトルは多様かつ複雑である。イスラーム改革指導者はイスラームの近代を問い,特に「女子教育」は,女性の高貴性を最初に認めた宗教としてのイスラームを強調する上で重要なファクターとなった。本報告では,女子教育をめぐる植民地政府とイスラーム改革指導者の議論の位相から,「近代」「学校」「女性」「イスラーム」をめぐる複雑なベクトルが解き明かされる。
(新井正紀)
〔参考文献〕
小川正人『近代アイヌ教育制度史研究』北海道大学図書刊行会,1997年。
渡邊昭子「国立小学校とハンガリー化--母語の国民化をめぐって--」『歴史学研究』799号,2005年3月。
服部美奈『インドネシアの近代女子教育--イスラーム改革運動のなかの女性--』勁草書房,2001年。


現代史部会運営委員会から
昨年度,当部会では,1950年代の東ドイツと中国の農村地域において生じた新たな体制秩序の構築を焦点とする報告によって,その「社会主義経験」の実相に迫った。さらに日本現代史の分野からもコメントを得て,体制としての社会主義を経験していない地域においても,体制の構築と地域社会の選択とのあいだに生じる矛盾・藤・統合を捉える際の「社会主義経験」の重要性をあらためて確認した。そこで今年度は,昨年度とほぼ同様の地域・時代に再度照準を合わせて,体制の相違を超えた同時代性のもとに,「戦後」独自の社会がいかに形成されたのかについて,特に都市民衆や工業労働者の社会的結合のあり方に着目して議論したい。
地域社会に接近する際に,昨年度は体制構築や秩序形成といった収斂の方向で検証を試みた。そうした「経験」の位相を,今年度は,人々の関係性の変化とそれによって形成される観念や秩序感覚,身体性の内実を追究するなかで明らかにしていきたい。この課題は,2001年度大会の当部会企画「共同化・社会化への模索--1950年代社会論--」をも念頭に置いている。そこではすでに,社会主義を歴史的経験として読み解く方法として,戦時からの連続性や,戦後体制の構築を左右する選択・構想としての共同性や組織化の再検討が意図されていた。今回は50年代における変化そのものにより深く内在し,冷戦構造の固定化に対応して各国民社会が固有の「戦後」を形成する過程で,日常の人間関係やコミュニケーション様式がどのように変容したのか,その具体的様相から「社会」に接近したい。「1950年代社会論の再開」とする所以である。
もちろん,民衆の結合は統合の反意語では必ずしもありえない。主体の自発性や抵抗を無前提に想定はできず,抵抗のための結合が別の排除を生みだし,差別の境界を強固にする過程も見出されよう。暴力や利害の変容によって生じる既存の結合の破壊や再編がもつ両義性にも,注意が必要である。また結合の契機には,当該期のさまざまな国際的・国内的条件(イデオロギー対立,空間的・階層的流動性,消費社会化等)が密接に関連している。人々の日常を見据えた分析によって,社会的結合の概念を現代史に導入する意義と可能性を最大限に引き出すならば,公共性や「社会的なるもの」をめぐる近年のより大きな議論との接合も視野に入ってくるのではないか。
こうした課題を,今年度は以下の3つの報告を得て検証し,議論を深めていく。まず三輪泰史報告「紡績労働者の人間関係と社会意識--1950年代日本の文化サークルの歴史的位置--」では,報告者がこれまで進めてきた20世紀前半の紡績労働者(特に女性たち)の分析をふまえて,50年代の労働者の社会意識と結合のあり方の歴史的固有性が位置づけられる。日常生活における接触やサークルを通しての文化的実践が,職場秩序と異なる「仲間」を創り出しつつ,いかに戦後的な「個」をも育むかなど,戦後日本像の再検討や国際比較につながる論点が提示されるだろう。
ついで石井聡報告「東ドイツにおける工業労働者の社会的結合」では,企業組織の最小単位である作業班が,50年代に「上から」導入されながら,生産・余暇の両面で労働者間の濃密な人間関係の形成に結びつく論理が,生産現場の実態をふまえて検討される。抑圧や監視という一面的な社会主義像では見えない生活世界への接近から,冷戦下の東西を貫く奥深い社会変容と東ドイツの歴史性との両面が見通されるだろう。
これらに対して金野純報告「動員と社会--建国後中国都市社会の変動と民衆--」では,50年代の上海市を事例に,労働現場でおこなわれたいくつかの動員の系譜的な分析を通して,共産党による動員が都市社会の旧来の社会階層や労働者の結合をどのように再編したかが追究される。政治的暴力による社会秩序の形成と破壊のダイナミズムが,人々の生活利害や意識とどのように相関して中国の社会主義社会を創り出していくのか,その非直線的・動的な過程が,50年代を一貫する分析のなかで浮かびあがるだろう。
当日は以上の報告を得て,50年代の諸社会を歴史的固有性(差異)と同時代性(共通性)の両面から検証し,戦後世界史の比較分析を深化させたい。グローバル化の浸透によって,一方では資本制のシステムのみならず,人々の社会関係や身体性・感受性もが大きく変容し,他方では内向的反応として「よき50年代」(あるいは昭和30年代)の予定調和的な記憶が紡がれている現状がある。私たちも従来とは異なる視角から民衆の生の位相に取り組まなければ,かつて人々が賭けた構想や感覚・意識が忘却され,実効性如何で安易に裁断されてしまうこの状況に抗することは難しい。固定化された時代像の精緻な彫琢よりも,まずは議論を活性化させたい。報告の対象地域を越えた多地域・多分野からの積極的な参加をお願いする。(戸邉秀明)
〔参考文献〕 *副題は省略
三輪泰史「紡績労働者の社会意識」広川禎秀編『近代大阪の行政・社会・経済』青木書店,1998年。
同「東洋モスリン争議『市街戦』の社会心理」『日本史研究』485号,2003年1月。
同「1950年代のサークル運動と労働者意識」広川禎秀・山田敬男編『戦後社会運動史論』大月書店,2006年。
石井聡「建国初期東ドイツ造船業における労働生産性向上の限界」 『経営史学』 33巻3号, 1998年12月。
同「東ドイツにおける日常生活世界」『大原社会問題研究所雑誌』552号,2004年11月。
金野純「建国初期中国社会における政治動員と大衆運動」『アジア研究』51巻3号,2005年7月。
同「人民共和国建国初期における政治的暴力と社会秩序」『歴史評論』681号,2007年1月。


合同部会運営委員会から
今年度,西洋古代史・ヨーロッパ中近世史合同部会では「生成される宗教的《境界》」をテーマに,古代・中世・近世ヨーロッパおよびイスラムにおける異なる宗教・宗派間の多様な《境界》のありかたを,その生成の場に注目して考察したい。
近年,宗教対立を背景とする地域紛争や内戦の相次ぐ勃発,「原理主義」の台頭,あるいは移民社会における宗教実践の問題などを背景に,宗教を異にする人間集団どうしがいかにつきあい,共存・共生していくかを模索する必要性がつとに指摘されている。こうした状況のもとで,歴史研究においても,異なる宗教・宗派間の関係や公の場における宗教行為・儀礼のありかたなど,宗教をめぐる議論が活発に行なわれている。
歴史学研究会では,これまでも多様な観点から宗教をめぐる諸問題を歴史的に考察する試みを続けてきた。当部会では,2001年度大会において「歴史のなかの宗教と民衆,社会」を企画し,共同体アイデンティティの基盤としての宗教の意義を論じるとともに,異なる宗教集団どうしが互いにいかに接触,共存,浸透,受容,排斥していたかを論じた(『歴史学研究』755号)。また2005年に企画された特集「異なる宗教・宗派が織りなす社会」でも,さまざまな時代,地域における宗教的差異のありようが議論された(『歴史学研究』808~810号)。本年の大会では,これらの問題関心を受け継ぎつつ,宗教的《境界》という新たな視点を設定することにより,さらに議論を深めたい。
異なる宗教・宗派に属する個人ないし集団の間で取り結ばれた共存・接触,あるいは対立・排斥の関係を探ることはたしかに重要である。しかしながら,こうした議論においては,諸集団の関係そのものの前提とされる宗教・宗派間の《境界》は,アプリオリに措定され,その《境界》が成立する過程そのものを捉えることはできない。《境界》とは,雑多な個人・集団が存在している状況のなかで,たとえ政治的利害関係が背後に想定される場合であっても,宗教的な事柄を契機として,ある特定の差異から創り出され,さらに強調され,結果的に非常に明瞭なかたちとなって現われ出てくるものである。このような《境界》そのものの「生成」をさまざまな歴史事象のなかで動的に捉えること,それを当部会の課題としたい。
宗教的《境界》が立ち現われる事例は,多様に想定可能である。神聖なものへの信仰を同じくする者どうしが集い,共同で礼拝・儀礼を執りおこなうなかから,ある特定の信仰集団は生まれる。彼らは,宣教・伝道などの手段を用い自らの信仰を対外的に表明しつつ,一定の宗教集団へと発展し,制度化していく。しかし,その過程は決して単純ではない。2世紀頃に独自の集団を明確に形成したかに見えるキリスト教は,決して純粋で一体的な集団ではなく,ユダヤ教的,グノーシス的要素を多分に含んでいた。松本宣郎氏「初期キリスト教の『周縁性』」では,ローマ帝国・地中海世界における初期キリスト教の曖昧で多様な側面を論じていただく。
宗教的《境界》がもっとも明瞭なかたちとなって現われると想定されるのは,異なる既存の宗教集団どうしが,ある事柄を契機として,互いに接触し,浸透し合い,対立関係へと至る場合である。聖地イェルサレムの奪還をめざすキリスト教勢力がおこなった中東イスラム地域への軍事遠征であると一般に考えられている十字軍は,まさにそのような事例としてあげられることが多い。しかし,近年の歴史研究が十字軍をキリスト教とイスラム間の宗教対立として描くことはもはやない。中村妙子氏「初期十字軍とイスラム勢力--12世紀前半のシリアにおける協定とジハードの検討を中心に--」では,十字軍諸勢力とムスリム諸勢力の多様な関係性を,主に政治的駆け引きの側面から論じていただく。
他民族および異なる信仰と積極的に向き合わざるを得ない環境に置かれていた中世ビザンツ帝国において,ビザンツ人にとっての宗教的《境界》,すなわちキリスト教正統信仰と非正統の《境界》は,異端論争,帝国教会化,教会間の分裂・合同といったさまざまな機会を経るごとに,その時々の問題解決にふさわしい形で設定されてきた。そうすることによって,ビザンツ理念の根幹たる正統教会の一体性・唯一性が維持されてきたのである。草生久嗣氏「ビザンツ帝国における宗教的《境界》の生成--正教会異端論駁書を題材に--」では,ビザンツ人の異端を見る眼の分析から,中世地中海域に展開した宗教的《境界》生成のダイナミズムを論じていただく。
キリスト教が支配的なヨーロッパ世界においても,自ら宗教的マイノリティとなる道を選ぶ人々が存在した。近世には,ユダヤ教へと改宗したキリスト教徒の事例が確認される。彼らは,いかにして自らの信仰とキリスト教教義との間に差異を見出し,さらには周囲のキリスト教徒たちとの間に《境界》を築いていったのだろうか。踊共二氏「近世ヨーロッパの諸宗派とユダヤ教」では,キリスト教とユダヤ教の本来的な近親関係が確認されるとともに,二つの宗教の教義・信仰上の接近,あるいは多様な改宗の事例から,宗教改革以後のヨーロッパ世界における宗教的《境界》のありようを論じていただく。
以上のように宗教的《境界》を把握するならば,たとえある時点で《境界》が明確に設定されたとしても,それを固定的に捉えることはもはやできない。時代の流れのなかで,いかに宗教的《境界》が生成し,揺れ動き,明瞭化し,変質し,消滅するかをその都度の歴史事象に即して明らかにする努力が必要となるだろう。私たちは,キリスト教,イスラム教,ユダヤ教の間に,あるいはキリスト教諸宗派の間に《境界》を認め,彼らの対話路線を喜び,抗争を憂いたりする。ともすれば私たちは,そのような現在の私たちの宗教理解を投影した形で,歴史のなかに現われる宗教・宗派間の《境界》をも自明なものとしてみなしがちである。だからこそ,宗教的《境界》そのものの生成をさまざまな歴史事象のなかで捉えようとする今回の試みが,そのような固定的な《境界》の見方を相対化し,現在の宗教問題を支配する共存・対話あるいは対立・衝突といった二元的な物語に対して一石を投ずる機会となれば幸いである。(渡邉裕一)

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