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ソン・スンチョル『朝鮮通信使、日本と通じる』(東アジア)


慎亨浚(シン・ヒョンジュン)記者  朝鮮日報/朝鮮日報JNS 2006年12月3日


 1392年から1811年まで、計28回にわたって日本に派遣された朝鮮通信使を素材にし、韓日関係史を振り返る本。1748年、対馬が朝鮮通信使の宿泊する地域に送った「朝鮮人が好む食べ物」という文書の内容は以下のとおりだ。

 「大体の魚を好むが、塩漬けした魚は好まない。熱い料理を嫌い、ほどよい温かさの料理を好む。鶴、コイ、亀のようなものは、以前と異なり、現在は好む人もいる」

 著者は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役、1592‐98年)以降の通信使を接待する費用について、幕府の1年間の予算に匹敵する額だったと指摘している。それは朝鮮通信使が釜山を出発し、再び釜山に戻るまでの往復の費用をすべて日本側が負担したためだ。こうした多大な出費をしてまでも日本が朝鮮通信使を盛大に接待したのは、幕府の力を誇示し、朝鮮が報復のために日本を侵略する恐れをなくそうとする意図が多分に働いていたためだという。

 著者は「最近冷え込んでいる韓日関係について、“通信”というキーワードで振り返りながら、友好交隣が必要な理由を明らかにしようと思い、この本を書いた」と語った。

 しかし、日本に人質として連れていかれた訥祇王の弟・未斯欣を倭国から逃がし、自分は殺された朴堤上(パク・チェサン)や、三韓統一の大業を成し遂げつつも「死んでも倭兵から国を守る」と語り、龍になったという文武王の伝説からも分かるように、倭に対する韓国の伝統的な「観念」がそうたやすくも変わるのだろうか。 



 

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