はじめに


 


芹澤知広


 


 本書は、五つの事例研究を通して、主として二〇世紀前半に日本人が行った中国民具収集の歴史的背景と、その今日的意義について検討することを目的としている。各論文は、それぞれの執筆者の専攻分野を中心に対象と議論の方向性が選ばれているが、この序章では、文化人類学の分野の学史研究の動向、各論に共通する二〇世紀前半の日本人の中国民具収集の動向について簡単に紹介しておきたい。

 文化人類学という分野をとくに手がかりとする理由としては、本研究を学際的な共同研究として行っている本書の執筆者、五人が共有する問題意識がある。今日「文化人類学」(民俗学を含む)として日本で位置づけられている学問分野は、かつては物質文化研究を通じ、考古学や博物館学との豊かな協働関係を持っていた。今日その関係を復活させ、文化人類学の研究を発展させていくべきである。

 次節では、日本の近代の人類学史をふりかえり、文化人類学が専門的な政策科学というよりは、いわば「好事家」的な同好人士の集まりから出発したこと。そして、その後も植民地統治や軍事に直接関わることは少なかったこと。この二点を指摘して、専門知としての人類学の実践のほか、「ポピュラー人類学」ともいうべき、専門知以外の知識人の言説や実践、アマチュアによる収集・研究活動を重視する本書の視点の背景を紹介する。また、今日話題になることの多い、文化財の略奪と返還という問題と本書が対象とする民具との関係についてもコメントをしておきたい。

 そして、続く第三節では、近代の日本人の中国渡航を旅行記から概観し、二〇世紀前半の中国民具の収集・研究にとって影響力をもった、「支那趣味」(中国趣味)と「民藝運動」という、いずれも文化人類学の専門知の外側に生じていた二つの動きを紹介する。

 二〇世紀前半に日本が中国に軍事介入し、結果として東アジアの平和を乱したという歴史的事実は、否定することができない。国家の組織的な中国への関与と、それに付随した文化政策については、今後事実が明らかにされ、将来の世界平和のために評価がなされるべきである。しかし当時の日本人の収集家、研究家が中国人の社会・文化に関して行った活動に対して、今日再検討することもなく、戦前の負の遺産として完全に否定してしまうということは、今後の日本の国際的な学術交流にとって、たいへん残念なことだと思われる。当時の人々の活動の多くが、戦争に対する深い判断をともなわない一種の「軍事協力」であったことは今となっては容易に想像できるが、そのことから、収集や研究を行った個々人の人生や研究成果に、簡単に評価を与えることができるような特権を、はたして私たちは同じ人間として与えられているのであろうか。むしろ私たちは学問の初志に立ち返り、先人の収集史、研究史から学ぶということを、まず考えるべきであろう。

 近年、文化と政治との関わりについて多くのことが明らかにされ、日本の文化人類学においてもテクストの分析を通じた学問的言説の政治性、権力性が指摘されることが多い。しかし本書の共同研究が中心的な対象としているのは物質文化であり、目の前に存在する「もの」である。収集の経緯はどのようなものであれ、古い中国のものが、多くの人々が介在することで、今、日本の私たちの目の前に残されている。当然その過去の経緯は本書の関心の中心をなすが、物そのものは歴史や人物からいったん切り離したうえで、今後の活用を考えていくことができよう。

 なお、本書と本章のタイトルには、私たちの対象とする物質文化に対して、「民具」ということばが便宜的に選ばれている。よく知られているように、「民具」は、日本人類学の先祖の一人、澁澤敬三(一八九六~一九六三)の造語である。……

 ……本書では、このように包括的な「民具」の定義を採用しているため、生活用具一般を指す場合、「民具」に用語を統一することは行わなかった。次章以下で提示される事例研究では、各著者がそれぞれ、「物質文化」や「考古・民俗資料」などの用語も使用している。


四 本書の構成


 本書の次章以下では、五つの事例研究が並べられる。


 第一章、角南聡一郎「植民地における物質文化への興味──画家・染木煦による調査・表現方法の検討を中心に」は、染木煦の物質文化研究に焦点をあてて、植民地における民藝運動、農村調査、宗教調査と、それらの相互関係について論じている。画家である染木の芸術家としてのトレーニングと、それにもとづく表現方法を検討し、考古学的実測図とは異なる写実的なスケッチにもとづく染木の物質文化研究の方法を今日の視点から評価している。

 第二章、芹澤知広「日本人が見た中国の看板──研究史のスケッチ」は、交易に関わる民具である看板をとりあげ、日本人が中国の都市で行ってきた看板の研究を概観し、今後の課題を展望している。とくに看板研究と日本の人類学史との深い関わり、そして、日本の代表的な私設民族学博物館である天理大学附属天理参考館に所蔵される北京看板のコレクションの成り立ちについて、詳しく紹介している。

 第三章、中尾徳仁「満洲における郷土玩具収集──日本人コレクターの活動に焦点を当てて」は、天理大学附属天理参考館が所蔵する玩具コレクションと、鹿児島県歴史資料センター黎明館が所蔵する、玩具コレクター川邊正己のコレクションとその関連文書資料にもとづいて、一九三〇年代から四〇年代にかけて日本人が満洲で行った玩具収集の実際について論じている。また、当時活躍した代表的なコレクターとそのコレクションの行方を紹介することで、現在日本に残されている満洲玩具の全体を把握するための布石を置く。

 第四章、志賀市子「植民地における日本人の中国宗教研究──台湾及び満洲の道教調査とそのまなざし」は、近代ヨーロッパのオリエンタリズムと、それに影響を受けた近代の道教研究を俯瞰したうえで、台湾と満洲で行われた宗教調査を検討し、道教と宗教民俗に対する日本人のまなざしを論じている。とくに、台湾での片岡巌や増田福太郎による呪符・呪物研究、満洲での五十嵐賢隆の道観調査など、当時の日本人滞在者がもっていた研究関心とそれにもとづく収集資料を個別に検討して、今日から見た学術的意義を評価している。

 第五章、槙林啓介「中国における日本人の考古・民俗資料の収集──主要な考古学雑誌にみる大陸の情報から」は、二〇世紀前半の日本の中国考古学をめぐる背景を概観した後、『考古学雑誌』、『考古学』、『人類学雑誌』という当時の主要な考古学の学術雑誌を資料として、日本人がどのように中国で考古・民俗資料の収集を行っていたのかについて跡付けている。これらの雑誌の報告には、中国考古学プロパーの人物ばかりではなく、本書の他章でも触れられている他分野の人物の名前もあがっている。また当時の調査では、考古資料とは区別された「土俗品」にも比較の対象としての関心がもたれていたことが指摘されている。……

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