昭和天皇 戦犯合祀で不快感


エヌエチケー(NHK) 2006720 1719


昭和天皇が、亡くなる前の年に靖国神社のA級戦犯合祀について不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語っていたことが、当時の宮内庁長官が残したメモから明らかになりました。昭和天皇が靖国神社の参拝をとりやめた理由を示した資料が見つかったのは初めてです。


このメモは、昭和63年まで10年間にわたって宮内庁長官を務め、3年前に亡くなった富田朝彦さんが、昭和天皇の発言をつづった手帳に書き残していたものです。このうち、昭和天皇が亡くなる前の年の昭和63年4月28日付けのメモには、昭和53年にA級戦犯14人が靖国神社に合祀されたことについて、昭和天皇が「A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と述べたことが記されています。「松岡、白取」は、日本がドイツ、イタリアと三国同盟を締結した当時の松岡洋右元外務大臣と白鳥敏夫元イタリア大使を指したもので、「筑波」は、靖国神社の筑波藤麿元宮司を指し、昭和41年に筑波元宮司が合祀を差し止めたことを評価する内容となっています。そのうえで、昭和53年にA級戦犯を合祀した靖国神社の松平永芳元宮司について、その父親で昭和天皇の側近だった松平慶民元宮内大臣と比較して、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか。易々(やすやす)と。(父親の)松平は平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている」と述べ、昭和天皇がA級戦犯の合祀について不快感を示す内容の発言をしていたことが記されています。メモは、さらに「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と記され、昭和天皇が靖国神社の参拝を取りやめた理由が、A級戦犯の合祀にあったことを示しています。昭和天皇は戦後、靖国神社を8回参拝していますが、昭和50年を最後に参拝しておらず、その理由はこれまで明らかになっていませんでした。昭和天皇が靖国神社の参拝をとりやめた理由を示した資料が見つかったのは、初めてのことです。


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