第28回 サントリー(Suntory)学芸賞 選評〔思想.歴史部門〕


田中明彦(東京大学教授)評


苅部直(かるべ ただし)(東京大学大学院法学政治学研究科教授)


『丸山眞男 ―― リベラリストの肖像』(岩波書店)を中心として


 丸山眞男について、三つの世代があるといってもいいかもしれない。丸山が知的スターとして活躍した1950年代から1960年代前半に大人になった人々、つまり現在の60歳くらいから上の人々。第二は、丸山のことを本や文章を通して知っている世代、つまり団塊の世代からもう少しあとまでである。そして、第三は、丸山のことをほとんど何も知らない世代。あるいは、現在本書やその他の丸山関連の書物によって丸山のことを知るようになった世代といってもよい。
 第一世代は、よくも悪くも丸山について過剰な見方のある世代である。教師であり、知的リーダーであり、崇拝の対象である一方、とにかく気に入らない人物という人々も多い。第二世代は、丸山については、何となくある程度知っている。もちろん、政治学に関心のある人なら、丸山の主著は読んでいるであろう。この本の著者あたりが、おそらくは丸山を本を通して知る世代の一番若い層かもしれない。第三世代となると、「かつて丸山眞男というすごい学者がいて」(佐藤俊樹、読売新聞、2006年10月29日)などと前置きをつけないと言及もできないことになる。
 本書は、丸山第一世代と丸山第二世代にとって、あの丸山眞男とはいかなる人物だったのかを、まさに「目からうろこが落ちる」ように活写してくれる本である。戦前という時代をいささかなりとも体感している第一世代にとってもそうだが、本を通して丸山を知っている第二世代にとっては、この本が描く丸山の戦前の姿を読んで、初めて人間としての丸山の生い立ちを知ることができる。ジャーナリストの息子であったことや、徴兵体験が重要であったという程度のことは、いささか丸山のことを読んだ人間にとっては当たり前のことであるが、その意味がこの本を通して初めて生き生きと伝わってくるように思う。
 また戦後のはなばなしい活躍の背後にある丸山自身の知的な葛藤も、彼自身の人間性の叙述とあいまって、興味深く読める。「日本三大おしゃべり」の一人と自称する丸山のえんえんとつづくおしゃべりは、本でしか丸山を知らない人にとっては新しい側面である。他方、丸山に強い崇拝心や反発を感じてきた丸山第一世代にとっては、「失語症ならぬ失文章症」に悩んだ丸山が何を考えていたのかを知ることは、新しい発見なのではないか。進歩的文化人としてではなく、日本における近代的な意味の政治学の確立につとめた研究者としての見地から丸山がいかに現実を見ていたかが、本書によって描かれているといってもよいだろう。崇拝や嫌悪の言葉で丸山を語るのでない落ち着いた叙述である。
 「体系建設型」の思想家としてよりは、「問題発見型」の思想家としての丸山の側面を重視するという本書の狙いは、以上の点からすれば、見事に達成されている。しかしながら、丸山のことを全く何も知らない第三世代に対しての入門としてみるとどうか。丸山の政治学者、政治思想史研究者、思想家としての業績は、全体としてどのように評価されるのであろうか。「かつて丸山眞男というすごい学者がいて」と話を始めたときに、丸山のどこがすごかったのか。世界の政治学や政治思想史の研究、あるいは世界の思想界のなかで、丸山を位置づけるとどうなるのか。現代の政治学にいかなる影響を与えたのか。丸山の本を一つも読んだことのない第三世代にとっては、本書のような問題発見型の叙述は、ややわかりにくくなっているのではないか。


 

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