第13回唐代文学会に参加して


土谷彰男(早稲田大学)


轉載自《日本中国学会便り》(2006年第2号)


 去る8月21日より26日まで、第13回中国唐代文学会国際大会(中国唐代文学学会第十三届年会暨唐代文学国際学術研討会)が、中国唐代文学、首都師範大学文学院、および首都師範大学中国詩歌研究センターの共催のもと、北京市海淀区・中江大厦、および懐柔区寛溝・北京市政府招待所において行われた。大会期間中、参加者は120名余り、論文は90篇以上を数え、われわれ日本からの参加者のほか、香港、台湾の代表も数多く顔を揃え、活発な意見交換がなされた。
 大会初日の開幕式では、首都師範大学校長の許祥源氏が中国詩歌研究センターについて紹介され、また中国唐代文学会会長の傅璇琮氏は、前回2004年の華南師範大学(広州市)の大会以降における学会の展望について所感を述べられた。ついで、社会科学院文学研究所所長の楊義氏、台湾大学中文系主任の何寄澎氏、岡山大学文学部の下定雅弘氏が、それぞれ発言された。何氏は、台湾における唐代文学研究の動きを大陸との関わりから紹介され、また下定氏は、近年白居易研究における日中間の接近について述べられた。
 ところで、主催のひとつである首都師範大学中国詩歌研究センターは、教育部より人文社会科学の重点教育基地として批准を受け、これまでにも『中国詩歌研究』(中華書局)をはじめ、『文学前沿』(学苑出版社)などを刊行するといったように、古典詩歌研究の領域にとどまらず近現代文学を含む鑑賞や創作といった幅広い方面において活動を行っている。余談ではあるが、筆者はかつて留学中にこの研究センターの有志が主催する『古詩源』読詩会なる活動に参加したことがあるのだが、中国各地から集まった若い学生が故郷の口音によって古詩を高らかに歌い、また意見を出し合って熱心に討論する様子に感銘を受けたものである。
 さて、開幕式につづき、大会の基調をなす大会発言が行われた。この席では、羅宗強氏(南開大)、葛暁音氏(北京大)、陳尚君氏(復旦大)、陶文鵬氏(社会科学院文学遺産編集部)、李浩氏(西北大)、呉湘洲氏(首都師範大)が、各自の研究領域に基づいた発言をされた。葛暁音氏は、近年北京大と香港浸会大(Hong Kong Baptist University)との間を定期的に往復されていることから、香港における古典文学研究の方法と最近の動向について詳細に報告された。陳尚君氏は、最近出版された『全唐文補編』『旧五代史校注』の編纂過程における所感と晩唐詩人研究の展開などについて述べられた。また李浩氏は、唐代園林研究の現状と私家園林研究の意義について、呉湘洲氏は楽府詩と音楽の関りについて、それぞれ最新の知見を披瀝された。
 グループセッションは30名ほどが一組となり、大会期間中にそれぞれ計4場が設けられた。日本からの参加者は、戸倉英美氏(東大)、下定雅弘氏、佐藤浩一氏(早大非常勤)、渡部れい子君(早大院)、紺野達也君(同)、それに筆者であった。筆者は、下定氏、渡部君とともに第四組に分配されたことから、ここではその様子を中心として紹介していきたい。
 第四組は、葛景春氏(河南省社会科学院)、羅時進氏(蘇州大)、呂正恵氏(台湾淡江大)、および下定氏の進行のもと発言と討論が繰り広げられた。発言者は総勢25名。内容から大別すれば、李杜、白居易に関連する報告が半数を占める。いまその報告を発表順に挙げると、渡部れい子「論李白詩歌中的“逸”」、董就雄(香港城市大)「仇注杜詩〈秋興八首〉四区分截説析論」、廖美玉(台湾成功大)「李白記憶身世的両種譜系」、湯華泉(安徽大)「七言歌行的体式与李白歌行的特徴」、葛景春「李杜律詩之変及其原因」、盧燕平(紹興文理学院)「試論李白的武功意向及其嘗試」、李子龍(安徽馬鞍山市李白研究所)「李白“採石捉月”考論」、下定雅弘「従白居易的詠“裘”詩看其“共生思想”」、呂正恵「白居易的“中隠”観及其矛盾」、呉湘洲「杜詩“沈鬱頓挫”風格含義弁析」、張蜀恵(台湾東華大)「従白居易蘇軾“歴杭”作品看其南方意識的形成」、雷喬英(首都師範大院)「江州貶官与白居易詩歌思想二元結合的転換」など、計13編。
 各論の詳細については、今度の『唐代文学研究』などにおいてそれぞれ発表がなされるであろうからそれに譲るとして、ここでは議論の様子をごく簡単に紹介したい。
 李白については、その身分と生平の問題のほか、席上では葛景春氏の報告にみられるように、詩人の個性と詩型との関わりについて、活発な意見のやり取りが見られた。また、白居易については、その後半生の作品に着目した報告が少なくなかった。下定氏は、白居易の「裘」を詠む作に込められた共生思想によって、白居易における独善の意味をあらためて提示した。これに対して、査屏球氏(復旦大)は、杜甫の詠「裘」詩にも白居易と同様の傾向が見出せること、呉湘洲氏は、白居易の共生思想が彼の自己満足と密接に関わることを意見として加えた。さきにも述べたように下定氏は、開幕式にて白居易研究における日中間の接近について、とくに後半生の作品研究の重要性について述べておられたが、今回の議論の様子を見てみると、中国の研究者もこの辺りに十分注意を払っていることが理解された。
 報告はこのほか、筆者「関于皎然《詩式》与大暦貞元文学的劃分」、孫学堂(山東大)「孟浩然“沖淡中有壮逸之気”別解」、査屏球(復旦大)「“趙倚楼”“一笛風”与禅宗語言」、張明非(广西師大)「論李商隠詩的象徴芸術」、張学松(広東省海洋大)「晩唐詩人在農民起義中的心態表現及命運」、羅時進「晩唐詠史詩的修辞策略」(分類の問題として「詠史」と「懐古」の関係)、蔡阿聡(復旦大)「論岑参入仕時期貶謫作品及其家世之関係」など。晩唐詩歌の研究は、さきにも触れた陳尚君氏の発言に見られるように、近年資料が整備されつつあるなか、今後質量とも長足の進歩を遂げるものと思われる。
 グループセッションをひととおり終えたのち、最後の大会発言では、各々のグループ代表による総括が行われた。第一組・陳鉄民氏(社会科学院)、第二組・劉明華氏(西南大)、第三組・杜暁勤氏(北京大)、第四組・羅時進氏の発言に続き、周勲初氏(南京大)が今大会の総括と学会についての所感を述べられた。つづく閉幕式では、董乃斌氏(上海大)、閻琦氏(西北大)、傅璇琮氏などが発言され、この席にて次回2008年の開催校として、なおも未定としながらその候補に、蘇州大学、安徽師範大学の名が挙がっていることが知らされた。
 四日間に亘る大会期間中、研究発表のほか出席者相互の親睦を図るべくいくつかの催しが企画された。そのうち、北京市内の老舎茶館での観劇と北京郊外の金山嶺長城の参観は忘れがたいものとなった。
 大会主催者が参加者に対するホスピタリティを表すものとして、彼地では「考察」などと称してこのような催しを設けることは通例である。参加者にしてみれば、遠路はるばる足を運ぶもうひとつの目的ともなり、よって学術討論という本来の目的に「観光」の色が滲むことになる。一方で、このような学会の運営に対して批判の声が上がっているとも伝え聞く。大陸には古典文学の領域に限っても、日本の比にならぬほど数多くの学会が存在し、それこそ月に一度は何かしらの学会が開かれていてもおかしくはない。地方の人民政府の肝いりとなれば、えてして観光的側面が強く出てしまうのもいたしかたないことであろう。だが、筆者は今回、このような催しが決して不要となるものではないことに気づかされた。というのも、このような機会を借りてこそ、参加者が相互に人事の消息や学会開催の情報交換を行ったり、それのみならず、依頼や招聘状の受け渡しといったやり取りを行うのにちょうどよいものだからである。情報の疎通が便宜のやり取りと重なるところに、いかにも大陸的なるものを感じさせるのであるが、情報交易の場としてこのような催しの存在意義は、今後も変わらないであろう。
今回、主催者のホスピタリティはまことに周到であった。大会期間中に会場を灼熱の北京市内から郊外の湖畔の避暑地に移したのも、そのひとつである。ただ、ここで特筆すべきは、これまで外国人参加者に課せられてきた高額な参加費が今回は撤廃され、彼此分かたずみな一律になったことである。参加費は主催者の裁量によって決められているものと思われ、今回このように至った経緯は明らかではないが、これまでの不均衡が除かれたことは喜ばしくもあり、また近年成長著しい中国の片鱗をうかがわせる思いでもあった。いずれにしても、学会開催の苦労は並大抵ではないはずである。大会を成功裏に進めた首都師範大学の関係者に対し、ここに謝意を記しておきたい。(文中一部敬称略)

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